桶狭間の戦いから見る信長が凄かった本当の理由
From:
【号外】ライズアップジャパン事務局
2019/7/13, Sat 06:32
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お待たせしました。今日から新講座
「渡部昇一の偉人で読み解く軍事史」
予約販売を開始します。
さらに、、、
7/15(月)までにお申込みいただいた方には
早期申込特典もご用意しています。
>詳しくはこちらからどうぞ、、、
https://in.kamijimayoshiro.jp/wata3_9800_switch?cap=kami
//////////////////
「桶狭間の戦い」と聞いたら何を思い浮かべますか?
多数の今川軍を狭い地形を生かして倒した戦法のことじゃないでしょうか?
この戦い、織田軍が総勢2,000程度であったのに対し、今川軍は総勢20,000ほどであったとされています。
だから、だだっ広い戦場で二千人と二万人が団子になって戦えば100%負けます。
しかし敵が進軍中のところに突っ込んでいけば、ひも状に伸びた状態の敵を横から襲う形で戦える…
信長は、こうして当時最大勢力だった今川義元の軍を打ち破りました。
ここまでは学校の授業でも習った記憶がありますよね?
でもその後の話はあまり知られていません、、、
信長が桶狭間の戦いで本当に凄かったのは「戦略」じゃないんです。
信長が天下統一の礎を築けた理由、、、
それは「情報を徹底的に重視した」ことです。
「なんだ、普通のことじゃないか」と思われるかもしれませんが、もう少しだけ話を聞いて下さい。
当時、戦いが終わると、武功を挙げた者には恩賞が分け与えられます。 百万石の大名・今川義元を討ち取ったのは2人の中級武士。 当時の戦国時代の価値観でいえば、これは最高の手柄です。 とてつもない恩賞を受けてもおかしくはないはずでした。
ですが、、、
この戦いで最も恩賞を受けたのは今川義元の首を討ち取ったこの2人の武士ではないんです。 恩賞第1位をもらったのは、、、全然戦闘に参加した形跡のない、簗田政綱という野武士でした。 信長は命を懸けて戦ってもいない部下に恩賞をたっぷり与えたんです。
恩賞第1位をもらった簗田政綱は何をしたのか・・・? …それは「敵がいつどこにいるか、正確に信長に情報を伝えた」ことです。 信長はこう考えました。
一番重要なのは自分の計画である。あとは、首取るとか取らないとかはこれは武士の仕事であって、これは、たまたま運のいいやつが取っただけだ。しかし、自分の計画で一番重要だったのは、今川義元がひものようになって軍隊を連れて出てきたときに、刻々どこにいるかをよく教えてくれたやつだ。」
つまり、信長は情報価値で、恩賞第1位を決めたわけです。 当時の常識からして、簗田政綱は、言ってしまえば見張り役の下っ端です。 ですが、信長はそんなことには構わず、正しく情報を伝えた者に恩賞第1位を与えました。 こうして、部下に情報の大切さを、態度をもって示したわけです。
それくらい情報の価値を重んじていた信長は、一方で自分たちの情報が相手に漏れないことも徹底しました。 実際、桶狭間の戦いの計画もギリギリまで自分の部下たちには伝えていませんでしたし、一説によると「大ばか者」と呼ばれるような振る舞いをしていたのも、「敵を欺くためにわざとしていたのだ」と言われているくらいです。 こうして信長は見事に、戦乱の世を勝ち続け、天下統一目前のところまで至ったわけです、、、
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2019/7/13, Sat 06:32
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だから、だだっ広い戦場で二千人と二万人が団子になって戦えば100%負けます。
しかし敵が進軍中のところに突っ込んでいけば、ひも状に伸びた状態の敵を横から襲う形で戦える…
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当時、戦いが終わると、武功を挙げた者には恩賞が分け与えられます。 百万石の大名・今川義元を討ち取ったのは2人の中級武士。 当時の戦国時代の価値観でいえば、これは最高の手柄です。 とてつもない恩賞を受けてもおかしくはないはずでした。
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この戦いで最も恩賞を受けたのは今川義元の首を討ち取ったこの2人の武士ではないんです。 恩賞第1位をもらったのは、、、全然戦闘に参加した形跡のない、簗田政綱という野武士でした。 信長は命を懸けて戦ってもいない部下に恩賞をたっぷり与えたんです。
恩賞第1位をもらった簗田政綱は何をしたのか・・・? …それは「敵がいつどこにいるか、正確に信長に情報を伝えた」ことです。 信長はこう考えました。
一番重要なのは自分の計画である。あとは、首取るとか取らないとかはこれは武士の仕事であって、これは、たまたま運のいいやつが取っただけだ。しかし、自分の計画で一番重要だったのは、今川義元がひものようになって軍隊を連れて出てきたときに、刻々どこにいるかをよく教えてくれたやつだ。」
つまり、信長は情報価値で、恩賞第1位を決めたわけです。 当時の常識からして、簗田政綱は、言ってしまえば見張り役の下っ端です。 ですが、信長はそんなことには構わず、正しく情報を伝えた者に恩賞第1位を与えました。 こうして、部下に情報の大切さを、態度をもって示したわけです。
それくらい情報の価値を重んじていた信長は、一方で自分たちの情報が相手に漏れないことも徹底しました。 実際、桶狭間の戦いの計画もギリギリまで自分の部下たちには伝えていませんでしたし、一説によると「大ばか者」と呼ばれるような振る舞いをしていたのも、「敵を欺くためにわざとしていたのだ」と言われているくらいです。 こうして信長は見事に、戦乱の世を勝ち続け、天下統一目前のところまで至ったわけです、、、