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日清・日露戦争では合計三万余名が戦死ではなく脚気で死んだ
白米至上主義、副菜不足、そしてビタミンへの無理解が主な原因だった
♪
荒木肇『脚気と軍隊 陸海軍医団の対決』(並木書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日本が国を挙げた闘った日清戦争と日露戦争、とりわけ後者では軍人の30%が脚気だったという。
当時、脚気の治療法をしらなかったばかりか、軍医らはビタミンの必要性を知らなかった。そもそも統計学的な処理法が確立していなかった。
日露戦争の戦死者は45423人、このうち27000余名が脚気で死んだことが判明している。ただし「この調査は入院患者を中心に調べたもので、入院しても病床日記をつくる前に亡くなった者や内地への送還者はもっと多かっただろう」(243p)。
脚気にかかったのが兵隊の四人に一人、そのうちの十人にひとりが死んだこととなり、「日清戦争の患者四万人、死者四千人に比べても改善のあとが見られないどころか、むしろ悪化している」のである。
原因は「白米至上主義」と「副食軽視」にあったという。
「海軍との大きな違いは、麦の支給のあるなしよりも副菜の貧しさにあった。ビタミンB1は炭水化物の代謝のために消費されるから、激しい運動や夏の暑さによって汗を多くかくことでさらに不足する。それを糖、胚芽までもきれいに落とした精白米、乾燥野菜や鰹節、干し鱈、漬け物などの粗食では脚気になるのが当然である」
とはいえ、当時の日本では財閥いがい、庶民は粗食である。
「一汁一菜というが、都会ですら普通の家庭で、汁とおかずを添えて主食をとるという風習が広まったのは1920年代の大正時代」(246p)だった。
「庶民が多かった陸軍の兵士にとっては、こうした食事を粗食とは思っていなかった。むしろ戦時給与の白米飯一日一合を腹一杯食べられることはひどく贅沢なことだった」という時代の話なのだ。
本書ではドイツに留学し、のちに軍医総監にまでのぼりつめた森鴎外の対策の失敗が批判されている。森鴎外は文豪だったが、軍医としては藪医者だったと言うのである
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● 日本のシステムの大きな欠陥である。専門でもないものが、肩書だけで専門外の
トップになるという見本みたいなものです。森鴎外は一応医師免許を持っているが、
上記の様に藪医者であったという事なのです。
● 現場で言えば、小児科医が外科部長になるようなものでしょう。いずれにしろ現在は
栄養学が進歩していますから、よもやそのような事は起こらないと言えますが、
しかしより積極的に健康を保つには、今までの栄養学では不十分というのが、
● DR.大村恵昭の研究から見えてきます。つまり、激しい肉体労働や精神的ストレスの
後には疲労が重なります。軍隊で少し休んでから戦闘に参加するなどの
わがままは出来ませんから、積極的な疲労回復が望まれます。
● 勿論昔の様に、覚せい剤を使う事はご法度ですから、より健康的で正常な方法が
望まれます。そこで登場するのが、タウリンとビタミンD の追加です。
ストレスがかかると両者の消耗が酷くなります。
● 特にビタミンD は紫外線をあびて体内でビタミンDを作る前提で健康な体は
維持できると思われます。全身を服で覆っている現代人は、そして室内で
仕事する以上は、ビタミンDは若者でも潜在的に不足していると言えましょう。
● 試しに何らかの肉体的精神的ストレスでくたくたになった貴方、タウリンとビタミンDを
服用してみてください、疲労回復は抜群に早くなります。それを実感したなら、
軍隊でも絶対使用すべきだという事は簡単に理解できるはずです。
● 自衛隊の皆さん、自分で試してみてください。良ければ自衛隊の携行医薬品又はサプリの
中に、これらを追加する事を期待します。論より証拠。自分で試してみれば
すぐに分かります。とくに将校以上の熟年が試されると実感できるはずです。
日清・日露戦争では合計三万余名が戦死ではなく脚気で死んだ
白米至上主義、副菜不足、そしてビタミンへの無理解が主な原因だった
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荒木肇『脚気と軍隊 陸海軍医団の対決』(並木書房)
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日本が国を挙げた闘った日清戦争と日露戦争、とりわけ後者では軍人の30%が脚気だったという。
当時、脚気の治療法をしらなかったばかりか、軍医らはビタミンの必要性を知らなかった。そもそも統計学的な処理法が確立していなかった。
日露戦争の戦死者は45423人、このうち27000余名が脚気で死んだことが判明している。ただし「この調査は入院患者を中心に調べたもので、入院しても病床日記をつくる前に亡くなった者や内地への送還者はもっと多かっただろう」(243p)。
脚気にかかったのが兵隊の四人に一人、そのうちの十人にひとりが死んだこととなり、「日清戦争の患者四万人、死者四千人に比べても改善のあとが見られないどころか、むしろ悪化している」のである。
原因は「白米至上主義」と「副食軽視」にあったという。
「海軍との大きな違いは、麦の支給のあるなしよりも副菜の貧しさにあった。ビタミンB1は炭水化物の代謝のために消費されるから、激しい運動や夏の暑さによって汗を多くかくことでさらに不足する。それを糖、胚芽までもきれいに落とした精白米、乾燥野菜や鰹節、干し鱈、漬け物などの粗食では脚気になるのが当然である」
とはいえ、当時の日本では財閥いがい、庶民は粗食である。
「一汁一菜というが、都会ですら普通の家庭で、汁とおかずを添えて主食をとるという風習が広まったのは1920年代の大正時代」(246p)だった。
「庶民が多かった陸軍の兵士にとっては、こうした食事を粗食とは思っていなかった。むしろ戦時給与の白米飯一日一合を腹一杯食べられることはひどく贅沢なことだった」という時代の話なのだ。
本書ではドイツに留学し、のちに軍医総監にまでのぼりつめた森鴎外の対策の失敗が批判されている。森鴎外は文豪だったが、軍医としては藪医者だったと言うのである
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● 日本のシステムの大きな欠陥である。専門でもないものが、肩書だけで専門外の
トップになるという見本みたいなものです。森鴎外は一応医師免許を持っているが、
上記の様に藪医者であったという事なのです。
● 現場で言えば、小児科医が外科部長になるようなものでしょう。いずれにしろ現在は
栄養学が進歩していますから、よもやそのような事は起こらないと言えますが、
しかしより積極的に健康を保つには、今までの栄養学では不十分というのが、
● DR.大村恵昭の研究から見えてきます。つまり、激しい肉体労働や精神的ストレスの
後には疲労が重なります。軍隊で少し休んでから戦闘に参加するなどの
わがままは出来ませんから、積極的な疲労回復が望まれます。
● 勿論昔の様に、覚せい剤を使う事はご法度ですから、より健康的で正常な方法が
望まれます。そこで登場するのが、タウリンとビタミンD の追加です。
ストレスがかかると両者の消耗が酷くなります。
● 特にビタミンD は紫外線をあびて体内でビタミンDを作る前提で健康な体は
維持できると思われます。全身を服で覆っている現代人は、そして室内で
仕事する以上は、ビタミンDは若者でも潜在的に不足していると言えましょう。
● 試しに何らかの肉体的精神的ストレスでくたくたになった貴方、タウリンとビタミンDを
服用してみてください、疲労回復は抜群に早くなります。それを実感したなら、
軍隊でも絶対使用すべきだという事は簡単に理解できるはずです。
● 自衛隊の皆さん、自分で試してみてください。良ければ自衛隊の携行医薬品又はサプリの
中に、これらを追加する事を期待します。論より証拠。自分で試してみれば
すぐに分かります。とくに将校以上の熟年が試されると実感できるはずです。