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歴史に学ぶ・リーダーの条件

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★ http://sankei.jp.msn.com/life/news/140731/art14073108020003-n1.htm

武田勝頼(下) 「長篠の戦い」なぜ無理を承知で馬防柵を攻撃したのか 2014.7.31 08:02 (1/4ページ)

 常識的に考えれば、武田方は織田・徳川連合軍の攻撃に備えつつ、長篠城を力ずくで落とすべきである。

 しかし武田勝頼は長篠城を落とさず、天正3(1575)年5月21日、主力勢を率いて設楽ケ原(したらがはら)に向かい、連吾川(れんごがわ)を挟んで連合軍と対峙(たいじ)した。

 この時点で、長篠城は武田方の足枷(あしかせ)となった。勝頼は長篠城の抑えに兵力を割かねばならず、背後を脅かされた格好で決戦に臨むことになる。

 いかなる理由から勝頼が、こうした挙(きょ)に出たかは謎である。むろん長篠城囮(おとり)説は仮説であり、通説通りに落とせなかったのかもしれない。しかしそれならそれで、秩序だった「退(の)き陣」に移れば、惨敗せずに済んだはずである。

 それでは、なぜ勝頼は不利な態勢で決戦を挑んだのか。

 そこには、餌を投げれば食らい付いてくるという勝頼の性格を知り抜いた、信長の深い人間洞察力があったとしか思えない。むろん餌とは自分自身である。

 かくして勝頼は倍する敵に打ち掛かり、惨敗を喫する。

 勝頼が、無理を承知で馬防柵(ばぼうさく)を攻撃した理由を考えてみよう。

 まず勝頼が、連合軍側の兵力と火力を見くびっていた節がある。

確かに信長は、この時点で400万石の領土を有し、動員兵力も10万に上る。しかし信長は将軍義昭らに牽制(けんせい)されており、3万の兵に3千もの鉄砲を持たせ、長篠まで来援してくるなど、勝頼は思いもしなかったに違いない。

 また、勝頼が信長の来援を知ったのは、設楽ケ原に着陣した後であった可能性もある。高天神(たかてんじん)城を見捨てた信長が、長篠城を救うとは考えられず、「来ないだろう」と、高をくくっていたのかもしれない。

 かくして、相手の状況に対する洞察力の欠如や情報の不足から、勝頼は3千の軍勢を長篠城の抑えに割き、1万5千の軍勢だけで設楽ケ原に向かった。

 さらに悪いことに、長篠城の付城(つけじろ)である鳶ケ巣(とびがす)山砦(やまとりで)を、酒井忠次率いる奇襲部隊によって落とされたことで、背後の別所街道をふさがれ、武田軍の選択肢は前進突破しかなくなった。

 結局、信玄が手塩にかけて育て上げた戦国最強軍団は、設楽ケ原の露と消えることになる。

 長篠の惨敗から滅亡までの間にも、勝頼は同じような失敗を繰り返す。

 同盟者や配下の気持ちを考えず、思いつきで行動し、それが取り返しのつかない結果を招くのである。

 すなわち、急死した上杉謙信の跡目争いである御館(おたて)の乱において、謙信の養子となっていた三郎景虎(かげとら)と、その兄の北条氏政を裏切り、北条家との同盟を破綻(はたん)させたり、滅亡1年前、高天神城からの再三の後詰(うしろづめ)要請を無視して籠城衆を見殺しにし、駿遠(すんえん)国衆の信用を失ったり、最後の戦いでも、諏訪まで来ていながら高遠(たかとお)城に後詰せず、家臣団からも愛想を尽かされたりである。

 味方の気持ちに対しても洞察力を欠いた勝頼は、長篠の失敗から学べず滅亡した。

 それは、ひとえに勝頼の気質にあったと思われる。つまり、何事に対しても感情的で意固地になり、大局的見地から状況判断できないのだ。

 それでいて場当たり的に方針を変更し、何か閃(ひらめ)くと、すぐに行動に移したがる。また、問題を損切りできずに先送りするという悪癖もある。

 このように勝頼は、勇猛果敢な侍大将だったが優秀な戦国大名ではなかった。

 こうした勝頼の欠点の数々は、誰かと似ていないだろうか。

 例えば、あなたの会社の社長とか−。

この4月、長篠合戦をテーマにした『天地雷動』(KADOKAWA)という長編小説を出版した。合戦までの経緯や両軍の心の動きなどを精緻(せいち)に追っているので、ご関心があれば、ぜひ手に取っていただきたい。(作家・伊東潤)

【プロフィル】伊東潤

 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。

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