日本で生まれ日本を恨んだアメリカ人https://in.kamijimayoshiro.jp/1910_KJDR6
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【号外】ライズアップジャパン事務局
2019/10/22, Tue 08:30
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日米開戦前…
アメリカはどのようにして
日本を締め上げていったのか…?
それを知るには海軍情報部極東課長
アーサー・マッカラム海軍少佐
のことを知るとわかってきます…
マッカラムは宣教師の息子として
長崎で生まれました。
そして、少年時代を日本で
過ごしています。
アメリカに帰国後は
海軍兵学校に入学…
卒業後は仕事の関係で
再び日本で過ごすことになりました…
非常に長いこと日本で過ごした
マッカラムですが…
必ずしも日本に好意を
抱いていなかったようです。
いえ、それどころか、、、
日本のアメリカに対する冷淡な態度に
逆恨みするようになりました…
そんな彼が、後年、
日本への戦争挑発計画を作成
することになったのです…
全8項目でできた
「マッカラム覚書」
と呼ばれるものです…
これは明らかに日本を
アメリカとの戦争に引きずり込むことを
狙ったものでした…
ではこの計画書ができたのが
いつなのか…?
なんと…
日米開戦の1年以上前の
1940年10月7日…
しかもこの覚書は
「ルーズベルト大統領の関与を得て、
マッカラムの八項目提案は
翌日からさっそく組織的に実施に移された」
(ロバート・スティネット『真珠湾の真実』
というのです…
これについて吉備国際大学客員教授の
馬渕睦夫さんは著書でこのように
述べています。
*********************
この覚書に従い、
アメリカは1940年の10月から
翌1941年12月までの一年余にわたり、
組織的に日本を挑発して日本に第一撃を
行わせることが、
ルーズベルト大統領の
確固たる方針となったのです。
(中略)
マッカラム覚書が
ルーズベルトの承認を得た
「1940年10月7日を以て、
アメリカは事実上、
日本に対し宣戦布告した」
と見なされるのです。
わが国が必死でアメリカとの
摩擦を避けるために
対米交渉に全力を挙げていた時、
アメリカはすでに日本との戦争を
決めていたのです。
(中略)
マッカラム覚書の存在は、
わが国の対米戦争が
自衛戦争であったことを
証明してくれています。
KKベストセラーズ
『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ』
*********************
では実際にアメリカはどのように
日本の交渉をかわしていったのでしょうか…?
明日10月23日(水)まで公開している
プレゼンテーションで
その全容を解説しています…
>ここからアメリカの「卑怯な交渉」を知るhttps://in.kamijimayoshiro.jp/1910_KJDR6
ーライズ・アップ・ジャパン事務局 小川友希
PS
上島嘉郎の大東亜戦争の研究 vol.6
「戦慄の日米開戦前夜
~アメリカの対日圧力、そして運命のハル・ノート」
にお得にご参加いただけるのは
明日10月 23日(水)までです。
>いますぐコチラから詳細をご確認ください…https://in.kamijimayoshiro.jp/1910_KJDR6
日米開戦前…
アメリカはどのようにして
日本を締め上げていったのか…?
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長崎で生まれました。
そして、少年時代を日本で
過ごしています。
アメリカに帰国後は
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マッカラムですが…
必ずしも日本に好意を
抱いていなかったようです。
いえ、それどころか、、、
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逆恨みするようになりました…
そんな彼が、後年、
日本への戦争挑発計画を作成
することになったのです…
全8項目でできた
「マッカラム覚書」
と呼ばれるものです…
これは明らかに日本を
アメリカとの戦争に引きずり込むことを
狙ったものでした…
ではこの計画書ができたのが
いつなのか…?
なんと…
日米開戦の1年以上前の
1940年10月7日…
しかもこの覚書は
「ルーズベルト大統領の関与を得て、
マッカラムの八項目提案は
翌日からさっそく組織的に実施に移された」
(ロバート・スティネット『真珠湾の真実』
というのです…
これについて吉備国際大学客員教授の
馬渕睦夫さんは著書でこのように
述べています。
*********************
この覚書に従い、
アメリカは1940年の10月から
翌1941年12月までの一年余にわたり、
組織的に日本を挑発して日本に第一撃を
行わせることが、
ルーズベルト大統領の
確固たる方針となったのです。
(中略)
マッカラム覚書が
ルーズベルトの承認を得た
「1940年10月7日を以て、
アメリカは事実上、
日本に対し宣戦布告した」
と見なされるのです。
わが国が必死でアメリカとの
摩擦を避けるために
対米交渉に全力を挙げていた時、
アメリカはすでに日本との戦争を
決めていたのです。
(中略)
マッカラム覚書の存在は、
わが国の対米戦争が
自衛戦争であったことを
証明してくれています。
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では実際にアメリカはどのように
日本の交渉をかわしていったのでしょうか…?
明日10月23日(水)まで公開している
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その全容を解説しています…
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