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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)10月2日(月曜日)参
通巻第5458号
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日本がまったく興味もない国カメルーンで
独立運動が起きている。それを血の弾圧で圧政を引くカメルーン政府
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中国がカメルーンと国交を樹立したのは1971年である。この時点で在カメルーンの中国人はせいぜい三、四十人だった。それが1995年から大量の移民が奨励され、雑貨商などに進出し、驚くほどの迅速さでチャイナタウンが形成された。
中国製の薬品、携帯電話、電気製品が店先に並ぶようになり、中国人はカネをもっているとされて強盗のターゲットは華僑の商店となった。
2007年、胡錦涛が中国国家主席としてカメルーンを公式訪問した。現地には中国人の商工会議所が設立され、チャイナチャイナと囃された。
2017年10月1日のアルジェジーラに拠れば、カメルーンの英語通用地区「アングロフォン」に相当数の軍隊が投入された。軍の派遣は「治安の回復」だが、この一年ほどの間に独立要求が暴動となって8名が死亡、数百名が逮捕拘束されている。
カメルーンは全人口2300万人のうち、八割がフランス語圏だが、西端の同地区は英語が通じる別地区となっており、かねてからフランス語圏との対立が深まっていた。英語国民は20%と推定されている。英語圏は南西部と北西部、いずれも西隣がナイジェリア。つまり英語圏は嘗ては西カメルーンとして、れっきとした独立国だったのだ。
カメルーン政府は同地区への交通を遮断し、集会禁止命令を発令した。そのうえ、過去三ヶ月ほどはインターネットの接続もできなくなっている。
なぜか。
英語が通用する旧「西カメルーン地区」が「独立」を宣言したからである。
クルド独立、スペインのカタルーニュ独立と、コソボの独立以来、久々の独立運動を嵐に触発され、英語を喋る人たちがフランス語圏とは文化も歴史も異なるとして、独立を言い出したことになる。それも1972年頃から連邦制だった政体が、中央集権に移行し、英語地区への差別が明確となってしまった。
住民たちは35年もの独裁がつづく長期政権ポール・ビヤ大統領への抗議のため集会とデモ行進を予定していた。この事態の収拾をはかるため、独立運動の中心とされる南西部のバメンダなどへ、カメルーン政府が軍を派遣した。混乱にますます拍車がかかり、進出した中国人は暴動を恐れ、自衛に乗り出す。
▲かつては「西カメルーン」として独立していた
独立運動はすでに国名を「アンバゾニア」とし、「国旗」も制定している。すでに国内国である。
かれらが強気になった理由は石油である。
スーダンが南スーダンと分離したように石油鉱区は南スーダンにあり、中国の利権も南スーダンに集中している。南スーダン独立で一番慌てたのは中国だった。
クルドがイラク内で独立の住民投票を強気に行ったのも、イラククルド自治区には石油が産出し、トルコへのパイプラインで収入があるからである。
コソボの場合は欧米がセルビアへの制裁を籠めて、支援したからで、とくに強い独立志向はコソボにはなかった。
東チモールの独立も、インドネシアが反対したが、豪が背後で根回しし、国際世論が支持したから比較的容易に独立が達成された。
カメルーン政府の弾圧は、そのご熾烈を極めて、指導者を逮捕、拷問をなし、英語地区の住民等はフランス語教育を強要されたため自ら学校を閉鎖し、住民は政府の弾圧を恐れて、居住地から去った。町は廃墟と化している。
中国のカメルーンへの投資は西隣がナイジェリアという関係からも、石油ビジネスが偏重する英語地区に多いとされる。
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