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★ http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/199502/bernstein.htm
原爆投下は何を問いかける?
バートン・J・バーンスタイン
スタンフォード大学歴史学教授
原爆が戦争終結の時期を早めたという議論の根拠はとぼしく、「たとえ原子爆弾を投下していなくても、ソビエトの参戦によって、十一月前には日本は降伏していたかもしれない」。加えて、米国の指導者のなかで、一九四五年の春から夏の段階において、「五十万の米国人(将兵)の命を救うために」原爆を使用すべきだと考えていた者など一人としていなかった。広島や長崎への原爆投下を可能にしたのは、二十億ドルもの資金を投入したプロジェクトのもつ政治的・機構的勢い、そして、第二次大戦の熾烈な戦闘を通じて、(市民を戦闘行為に巻き込まないという)旧来の道徳観が崩れてしまっていたからにほかならない。この道徳観の衰退こそ、後における核兵器による恐怖の時代の背景を提供したのである。ドイツや日本の軍国主義者たちだけでなく、なぜ、米国を含む他の諸国の道徳観までもがかくも荒廃していたのか、この点にこそわれわれが歴史の教訓として学ぶべきテーマが存在する。
Barton J. Bernstein スタンフォード大学の歴史学教授で、冷戦史、特にトルーマン政権の外交政策を専門とする歴史家。原爆投下の主な動機がソビエトを牽制することにあったみる修正学派を批判し、マンハッタン・プロジェクトが持っていた機構的・政治的勢い、そして、プロジェクトに参加した物理学者の役割を描き出すことで、原爆投下の政策決定過程をより総合的に描き出した先駆者として知られる。現在は、同大学の国際関係プログラム、国際政策研究プログラムの共同議長を兼務している。
小見出し
原爆投下をめぐる道徳的疑問 部分公開
日本からドイツへの投下目標の変更
使用するという前提
何を攻撃目標とするのか
どのように使用するか
民間人を犠牲者にすることへの懸念
採用されなかった方策
なぜ投下され、何が問題だったのか
<原爆投下をめぐる道徳的疑問>
今から五十年前の一九四五年の八月、米国は三日間のうちに二発の原爆を日本に投下した。これによって、少なく見積もっても十一万五千を超える人々が命を落とし、悪くすれば、犠牲者の数は二十五万人に達したとも考えられる 。これに加えて、少なくとも十二万の人々が負傷したと推定されている。戦後米国では、なぜ原爆が投下されたのか、それがどのように使用されたのかをめぐって、道徳的、歴史的疑問が表明されるようになる。(もしドイツ降伏前に原爆が完成していれば)原爆はドイツに対して使用される可能性があったのか? なぜ都市が投下目標とされ、その結果、多くの民間人が犠牲になってしまったのか? 一九四五年の十一月一日に予定されていた九州への上陸作戦(オリンピック作戦)を回避し、戦争を速やかに終結させるための他の手段は存在しなかったのか、と。
だが、こうした疑問にしても、政策決定者たちが、原爆を広島や長崎に投下するまでの検討段階において、道徳的な問題をそれほど考慮しなかったという点をしばしば見落としてしまっている。米国は原爆の開発をめぐってドイツと競争していたわけであり、もし原爆が実際よりも早く開発されていたら、当然、ドイツに対して使用されていたはずである。だがドイツの降伏によって、その投下目標は日本へとシフトしてしまった。また、第二次世界大戦の残忍な戦闘において、すでの都市の民間人が標的とされた先例はすでに提供されていた。枢軸国による都市を標的とした空爆作戦はつとに有名である。
また、戦争末期における米国空軍によるドイツへの空爆も、大規模な民間人が犠牲になることを意図した上で実施されていたわけだし、この戦術は、一九四五年の日本の都市への空爆作戦の際にも適用された。こうした民間人を標的とする空爆の実施は、(政策決定者の)道徳観に変化を与え、民間人の犠牲者を出さぬように、交戦国は都市への攻撃を行なうべきではないという戦前におけるフランクリン・ルーズベルト大統領の約束は実質的に忘れ去られてしまっていたのである。事実、一九四五年までには、米国の政策決定者たちは、日本に対する原爆の使用を回避しようとはしなくなっていた。しかし、公文書をめぐるより最近の研究から判断すれば、たとえ米国が原爆の投下以外の戦略を採用していたとしても、気の進まない日本本土侵攻を行なう前の段階、すなわち十一月以前の段階で戦争は終結していた可能性が高いのである。
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● 歴史は既に結論は出しています。
➊ 原爆は、国際法違反の残虐行為という事である。初めから一般市民を
殺す前提の兵器の使用は、国際法違反であり、今もそうなのです。
軍施設ではなく、意図的に都市の焦土作戦をしたのも明白は
国際法違反なのです。
早くこれらを反省して、日本に謝り、東京裁判を取り消さないと、ブーメランで
貴方たちに、降りかかりますよ。これが歴史の法則です。
分かっているのですか? 歴史学者さんよ?
❷ 日本軍が南京虐殺事件を起こした”と嘘の記事で日本を貶めたのは、当時の
USAのマスコミと、その取り巻きの赤コミンテルンと蒋介石の陰謀で
あったことは、分かっているのです。隠してもだめです。
❸ 日本軍が進軍した国では、どこもレイプや虐殺は全くなかったのであり、
その予防策として、将軍よりも高給取りの売春婦を連れていき、
現地の女子供たちを守ったのは、日本軍なのです。
日本軍は全く国際法違反をしていないのです。こんなに信じられない軍隊が
何処の歴史にあるのです。赤さんよ悔しかったら反論してください。
● こんなに堂々と敵の軍隊のみと対峙し、侍精神で戦ったのは、世界広しと言えども、
人類史上、日本軍だけなのです。全く歴史上の良き鏡であり、快挙です。
● 米軍は沖縄の住民の皆殺し作戦=鉄の暴風作戦を行っただけでは飽き足らず、行く先々で
生き残った住民のレイプと殺戮を行い、戦後も平気で一般庶民をレイプしまくったのです。
それを見て見ぬ振りしたのは、米軍であり、時の売国日本政府なのです。
● バトナム戦争でもしかり、平気で虐殺とレイプを繰り返し、韓国軍もそのまねをして、
多くの白人のハーフと、韓国兵のハーフを作り、ベトナムを蹂躙してきたのは
なのを隠そう、彼らなのです。ベトナムは忘れないですぞ。
● その自分たちの悪行がばれないようにと、歴史のねつ造と嘘の犯罪を作り、日本を
今でも貶めているのは、彼らなのです。残虐非道とは、日本以外の国に
当てはまる事なのです。
● 戦後70年たっても、まだ嘘の歴史とねつ造の歴史で、他国を貶めるとは、スタンフォード
大学の歴史学教授のおつむの程度も、中共の独裁共産主義者と50歩100歩という事です。
● 歴史学教授ならず、歴史創造学教授と名前を変えたほうが良いでしょう。
又は歴史ねつ造伝達学の教授としたほうが、ぴったりという事です。
● 神父達が、私と一体になれば、神と一体になる事と同じ事です”と洗脳して、無垢な子供たちと
下半身を一体化させて来た、貴方たちの神父の歴史と何が異なるのです。
韓国系のカルト宗教も含めてそうであるが、神父は何処でも純粋の神との一体を夢見るあまり、
純粋な子供と、下半身を一体化してきたのです。歴史はそれを語っているのです。
● 中国の歴代の皇帝の様に、最早、歴史のねつ造は許しませんぞ。
神は全て見ているのですぞ!!、font>