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反日モンスター朴槿恵を生んだ朝鮮王朝「モーレツ悪女の系譜」
にっかんたいしゅう
2014年6月24日(火)7時0分配信 日刊大衆
就任前は、日本との協調路線を唱えていたはずが、トップに立つや、180度態度を変えた朴槿恵(パククネ)・韓国大統領。
竹島問題や慰安婦問題で強硬姿勢を取り、日韓首脳会談も拒否し続けている。
昨年11月の欧州歴訪時には「北東アジアでの政治、安保の対立が(日本のせいで)激化している」などと発言し、"告げ口外交"と批判が飛んだ。
隣国初の女性大統領は、なぜ豹変したのか――。
朴大統領の言動を読み解くヒントとなりそうな本が、今月20日に発売される。
『歴史を作るのは男より女!悪女たちの朝鮮王朝』(双葉社刊)は、20世紀初頭までおよそ500年間続いた朝鮮王朝時代を、"悪女"をキーワードに読み解く内容。同書の著者であり、朝鮮王朝や韓国にまつわる書籍を多数出版している作家の康熙奉(カンヒボン)氏は、朴大統領について、こんな見方をしている。
「彼女が大統領になれたのは、父・朴正熙(チョンヒ)・元大統領の存在があったからです。日本では、朴政権=軍事政権と悪い印象をお持ちの方も多いと思いますが、朴政権下では経済が発展し、韓国内では現在も年配者を中心に尊敬の気持ちが強い。朴槿恵大統領は、その娘ですからね。韓国は今も王朝時代の文化や価値観が根強く残っていますが、当時の国教だった儒教(主に朱子学)の影響が相当強い。なかでも家族主義は特別です。最高の価値観は"孝"。親を尊敬することが最優先なのです」
さらに、康氏は過去の歴史と照らし合わせ、こんな危惧を抱いているという。
「米国以上に大きな権限を持つ大統領制を現在、韓国が採用しているのも、王朝時代の絶対的な中央集権体制と無関係ではないでしょう。しかし、王朝の歴史を振り返ると悪政が多く、それも悪女が権力を握ったときに、特に蔓延している事実が何とも気になります」
朝鮮王朝時代は1392年から1910年まで、27代にわたって繁栄した。
1910年に日本が韓国を併合し、王朝が崩壊するまで、500年以上の長きにわたって続いた支配体制であり、同国の政治に今なお有形無形の影響を及ぼしていると言われる。
隣国では、悪女が権力を持つと悪政が始まる。
この点から、朝鮮王朝の"裏歴史"を振り返ってみよう。
まずは、韓国で一般的に知られる「朝鮮王朝3大悪女」から触れていきたい。
1.張緑水(チャンノクス)(10代王・燕山君(ヨンサングン)【在位1494〜1506年】の側室)
張緑水は貧しい家の出で、生活のために娼婦もしていた。
しかし、歌と踊りの才能があったことから、妓生(キーセン)(宴席で歌と踊りを披露する女性)として名を上げ、当時の王・燕山君から声がかかり、側室(王の妾(めかけ))となる。
「王が妓生を側室に取り立てることは、まずありえません。これは、暴君で知られる燕山君が、当時、王宮を酒池肉林の場としていた結果でしょう。当時、彼女はすでに30歳を過ぎていましたが、10歳以上も若く見えたと言います」(康氏=以下、発言すべて)
こうした王の威光を背景に力を得た彼女は、国庫を空にするほどの贅沢に溺れた。
だが、クーデターで燕山君が王位を追われたため、栄華を極めた日々は一転し、彼女は国民の憎悪の対象となる。
殺されて斬り落とされた首は、市中で晒された。
それでも飽き足らず、罵倒しながら彼女の首に石を投げる者が続出し、石塚ができたほどだったという。
韓国ドラマ『王妃チャン・ノクス〜宮廷の陰謀〜』は、まさに彼女を主人公にしたものである。
2.鄭蘭貞(チョンナンジョン)(11代王・中宗(チュンジョン)【在位1506〜44年】の3番目の正室の側近)
張緑水同様、貧しい家の出で妓生になる。
宴席で中宗の3番目の正室・文定王后の弟と出会い、妾となったことが、鄭蘭貞の人生を変える。
その縁で文定王后に近づき、彼女の息子を王にするために、手段を選ばず悪行を重ねたのだ。
「2番目の王妃や、側室の子どもを王にさせないため暗殺を企てます。なかでも有名なのは1527年に起きた『灼鼠(しゃくそ)の変』です。2番目の王妃の子を呪い殺そうと、その子の誕生日に、東宮の庭の大木の枝に焼いたネズミをぶら下げたのです。当時は人を呪い殺せると信じられていましたが、それは呪いをかけたものを地中に埋める方法でした。彼女の手口は、あえてわかるように堂々と吊るすという大胆なものだったのです」
これには鄭蘭貞なりの計算があった。
大胆な手口から、政敵の一人だった側室が犯人と疑われ、結果、その側室の子が王の座を引き継ぐ目も潰れたのだ。
しかも、彼女がすごいのは、目論見どおり文定王后の子が13代王・明宗(ミョンジョン)になる(45年)や、今度は自分が文定王后の弟の正妻になるため、正妻を毒殺し、その座を奪い取っていることだ(51年)。
だが、栄枯盛衰は世の習い。
65年、最大の後ろ盾だった文定王后が死ぬと、これまでの横暴な振る舞いから夫婦揃って地方に流され、自ら命を絶っている。
韓国ドラマ『女人天下』の主人公は、この鄭蘭貞がモデルになっている
。
「王朝の国教・儒教は男尊女卑を説いており、どんなに才能のある女性も男性の補助的働きしかできません。ましてや、鄭蘭貞は最下層の身分(奴婢)出身。したがって革命的な秩序破壊者だったとの指摘もあります。ただ、彼女の直接の動機は"私利私欲"ですから、やはり悪女以外の何者でもないでしょうね」
正室を呪い殺そうとした美女
3.張禧嬪(チャンヒビン)(19代王・粛宗(スクチョン)【在位1674〜1720年】の3人目の正室)
張禧嬪は王家に出入りしていた通訳官のいとこの娘で、前述の2人のように貧しい家の出ではなかった。
しかし、韓国時代劇で最もよく取り上げられるのは、この張禧嬪(韓国ドラマ『張禧嬪』『トンイ』など)。
側室から見事、王妃にまで成り上がる――
これは張緑水も鄭蘭貞も果たせなかった"快挙"であり、長い朝鮮王朝史上においても彼女を含めてわずか6人しかいないという。
その秘密は、彼女の美貌にあった。
「朝鮮王朝の正史である『朝鮮王朝実録』は、女性の容姿に関して基本的に記述していない。ところが、張禧嬪に関しては"大変な美女だった"と、わざわざ書いているんです」
女官として宮中に来たところ、19代王・粛宗に一目惚れされ、人生が変わる。
だが、粛宗の母は勘が鋭いのか、"この女は災いをもたらす"と、一度は彼女を宮中から追い出す。
だが、その母が死に、張禧嬪は再び宮中に舞い戻ってくるや、側室として粛宗の子である男の子を産むのだ。
張禧嬪は粛宗に「わが子を継承者に」と強く迫る。
ついには周囲の反対を無理やり押し切り、粛宗は張禧嬪との子を元子(ウォンジャ)(王子候補)に指名し、なんと正室を廃妃にしてしまった。
しかし、正室の座を強奪した張禧嬪の絶頂期は、5年しか続かなかった。
「いつの間にか王の心は、ドラマ『トンイ』の主人公のモデルになった王宮の水汲み係、淑嬪(スクビン)・崔(チェ)氏になびいていた。そして、彼女が廃妃になった元正室を慕っていたことから、元正室は正室に戻され、張禧嬪は側室に戻ります。さらに、淑嬪・崔氏の告発により、張禧嬪が復帰した正室を呪い殺すために使った人形や小動物の死骸が発見され、死罪を命じられたんです」
なんともドロドロした女の怨念が渦巻く朝鮮王朝。
だが、康氏によれば、この3悪女の"原動力"は、低い身分や貧しさから必死に成り上がろうとした、健気な野心だという。
実は、政治を私物化し、多くの国民を不幸にした「悪女の中の悪女」たちはほかにいるという。
特権階級に生まれ育ち、そのまま王后となり、手にした権力で人々を苦しめた「ウラの3大悪女」だ。
「朝鮮王朝時代、王が亡くなると、その妻である王妃は地位を退かなければなりませんでした。しかし、王が後継者を決めないまま亡くなった場合、王妃が次の王を指名することが多く、しかもその次の王が成人に達していない場合、王妃が代理で政治を行い、王朝の実質的な支配者として君臨することがあったんです」
こうして政治を牛耳ることを「垂簾聴政(すいれんちょうせい)」と言い、朝鮮王朝時代には6人の王妃が、男尊女卑の時代の中で例外的に最高権力を握った。
その中で私物化が特にひどく、悪名高いのがこれから述べる「ウラの3大悪女」なのだ。
宗教弾圧で数万人を処刑した
4.文定王后(11代王・中宗の第3王妃)前述の鄭蘭貞が仕えたのが、この文定王后。2番目の正室の子(長男)が、自分の子(次男)が王になるために邪魔なことから、長男が眠る寝殿に放火。
目的を達せないと、ついには毒殺に及んだという鬼女だ。
「長男は12代王(仁宗(インジョン))になるものの、即位後わずか8か月で亡くなります。歴代王27人の中で在位期間は最短。その裏には、彼女が渡した餅に毒が盛ってあったと書かれている野史(やし)(※民間に伝承される歴史書)すらあります」
結果、自分の子・明宗が1545年に13代王に即位を果たし、当時、まだ11歳だった王に代わり、文定王后が実権を握る。
彼女は政権の要職を身内で固めたが、この約20年間は"暗黒の時代"だったと言われる。
「当時、朝鮮半島は凶作が続き、多くの国民の生活が困窮したのに、彼女はなんら有効対策を立てなかった。民を見捨てたんです」
5.貞純(チョンスン)王后(21代王・英祖(ヨンジョ)【在位1724〜76年】の2番目の正室)貞純王后が14歳で英祖と結婚したとき、英祖はすでに63歳で孫ほどの年齢差があった。
彼女は夫亡きあとの地位を確保するため、英祖に話を吹き込んで、側室との間の後継者を米櫃に閉じ込めて餓死させる。
さらに22代王となった正祖(チョンジョ)を毒殺。
23代王・純祖(スンジョ)がまだ10歳だったため、王族の最長老として彼女が「垂簾聴政」したのだった。
「彼女の最大の失政は天主教(カトリック教)に対する弾圧。しかも、そのために『五家作統法』といって、近所の5軒が犯罪を監視し合うという連帯責任制度を悪用した。結果、天主教と何の関係もない者を含め数万人が処刑されたのです」
6.純元(スヌォン)王后(23代王・純祖【在位1800〜34年】の正室) 24代王・憲宗(ホンジョン)が即位した際、まだわずか7歳だったため、王族最長老の純元王后が実権を握った。
その憲宗が22歳で急逝し、後を託す息子がいなかったため、彼女が暗躍をする。
「純元王后は25代王に、島で農業をしていた青年を捜し出して据えた。確かに、その青年は王族だが、没落した家の出で、そのため農業をしていたんです。帝王学を学んでいないどころか、字もろくに読めなかった。彼女がこの青年を王に指名したのは、政治より一族の繁栄を優先し、自由にコントロールできると思ったからでしょう」
実際、この王は政治を純元王后に任せ、贅沢三昧。
純元王后も凶作が相次いだのに何の対策も打たなかったため、多くの民が困窮し、苦しんだという……。
いったい、なぜ、隣国ではかくも多くの悪女が世に出てきたのだろうか。
「日本にも江戸時代、"大奥"がありました。しかし、朝鮮王朝と違って政治にはまず介入させませんでした。これが最大の違いですね」
朴槿恵大統領は「悪女」の系譜に名を連ねることのない御仁だと、信じたいものだが……。
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● 敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。
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にっかんたいしゅう
2014年6月24日(火)7時0分配信 日刊大衆
就任前は、日本との協調路線を唱えていたはずが、トップに立つや、180度態度を変えた朴槿恵(パククネ)・韓国大統領。
竹島問題や慰安婦問題で強硬姿勢を取り、日韓首脳会談も拒否し続けている。
昨年11月の欧州歴訪時には「北東アジアでの政治、安保の対立が(日本のせいで)激化している」などと発言し、"告げ口外交"と批判が飛んだ。
隣国初の女性大統領は、なぜ豹変したのか――。
朴大統領の言動を読み解くヒントとなりそうな本が、今月20日に発売される。
『歴史を作るのは男より女!悪女たちの朝鮮王朝』(双葉社刊)は、20世紀初頭までおよそ500年間続いた朝鮮王朝時代を、"悪女"をキーワードに読み解く内容。同書の著者であり、朝鮮王朝や韓国にまつわる書籍を多数出版している作家の康熙奉(カンヒボン)氏は、朴大統領について、こんな見方をしている。
「彼女が大統領になれたのは、父・朴正熙(チョンヒ)・元大統領の存在があったからです。日本では、朴政権=軍事政権と悪い印象をお持ちの方も多いと思いますが、朴政権下では経済が発展し、韓国内では現在も年配者を中心に尊敬の気持ちが強い。朴槿恵大統領は、その娘ですからね。韓国は今も王朝時代の文化や価値観が根強く残っていますが、当時の国教だった儒教(主に朱子学)の影響が相当強い。なかでも家族主義は特別です。最高の価値観は"孝"。親を尊敬することが最優先なのです」
さらに、康氏は過去の歴史と照らし合わせ、こんな危惧を抱いているという。
「米国以上に大きな権限を持つ大統領制を現在、韓国が採用しているのも、王朝時代の絶対的な中央集権体制と無関係ではないでしょう。しかし、王朝の歴史を振り返ると悪政が多く、それも悪女が権力を握ったときに、特に蔓延している事実が何とも気になります」
朝鮮王朝時代は1392年から1910年まで、27代にわたって繁栄した。
1910年に日本が韓国を併合し、王朝が崩壊するまで、500年以上の長きにわたって続いた支配体制であり、同国の政治に今なお有形無形の影響を及ぼしていると言われる。
隣国では、悪女が権力を持つと悪政が始まる。
この点から、朝鮮王朝の"裏歴史"を振り返ってみよう。
まずは、韓国で一般的に知られる「朝鮮王朝3大悪女」から触れていきたい。
1.張緑水(チャンノクス)(10代王・燕山君(ヨンサングン)【在位1494〜1506年】の側室)
張緑水は貧しい家の出で、生活のために娼婦もしていた。
しかし、歌と踊りの才能があったことから、妓生(キーセン)(宴席で歌と踊りを披露する女性)として名を上げ、当時の王・燕山君から声がかかり、側室(王の妾(めかけ))となる。
「王が妓生を側室に取り立てることは、まずありえません。これは、暴君で知られる燕山君が、当時、王宮を酒池肉林の場としていた結果でしょう。当時、彼女はすでに30歳を過ぎていましたが、10歳以上も若く見えたと言います」(康氏=以下、発言すべて)
こうした王の威光を背景に力を得た彼女は、国庫を空にするほどの贅沢に溺れた。
だが、クーデターで燕山君が王位を追われたため、栄華を極めた日々は一転し、彼女は国民の憎悪の対象となる。
殺されて斬り落とされた首は、市中で晒された。
それでも飽き足らず、罵倒しながら彼女の首に石を投げる者が続出し、石塚ができたほどだったという。
韓国ドラマ『王妃チャン・ノクス〜宮廷の陰謀〜』は、まさに彼女を主人公にしたものである。
2.鄭蘭貞(チョンナンジョン)(11代王・中宗(チュンジョン)【在位1506〜44年】の3番目の正室の側近)
張緑水同様、貧しい家の出で妓生になる。
宴席で中宗の3番目の正室・文定王后の弟と出会い、妾となったことが、鄭蘭貞の人生を変える。
その縁で文定王后に近づき、彼女の息子を王にするために、手段を選ばず悪行を重ねたのだ。
「2番目の王妃や、側室の子どもを王にさせないため暗殺を企てます。なかでも有名なのは1527年に起きた『灼鼠(しゃくそ)の変』です。2番目の王妃の子を呪い殺そうと、その子の誕生日に、東宮の庭の大木の枝に焼いたネズミをぶら下げたのです。当時は人を呪い殺せると信じられていましたが、それは呪いをかけたものを地中に埋める方法でした。彼女の手口は、あえてわかるように堂々と吊るすという大胆なものだったのです」
これには鄭蘭貞なりの計算があった。
大胆な手口から、政敵の一人だった側室が犯人と疑われ、結果、その側室の子が王の座を引き継ぐ目も潰れたのだ。
しかも、彼女がすごいのは、目論見どおり文定王后の子が13代王・明宗(ミョンジョン)になる(45年)や、今度は自分が文定王后の弟の正妻になるため、正妻を毒殺し、その座を奪い取っていることだ(51年)。
だが、栄枯盛衰は世の習い。
65年、最大の後ろ盾だった文定王后が死ぬと、これまでの横暴な振る舞いから夫婦揃って地方に流され、自ら命を絶っている。
韓国ドラマ『女人天下』の主人公は、この鄭蘭貞がモデルになっている
。
「王朝の国教・儒教は男尊女卑を説いており、どんなに才能のある女性も男性の補助的働きしかできません。ましてや、鄭蘭貞は最下層の身分(奴婢)出身。したがって革命的な秩序破壊者だったとの指摘もあります。ただ、彼女の直接の動機は"私利私欲"ですから、やはり悪女以外の何者でもないでしょうね」
正室を呪い殺そうとした美女
3.張禧嬪(チャンヒビン)(19代王・粛宗(スクチョン)【在位1674〜1720年】の3人目の正室)
張禧嬪は王家に出入りしていた通訳官のいとこの娘で、前述の2人のように貧しい家の出ではなかった。
しかし、韓国時代劇で最もよく取り上げられるのは、この張禧嬪(韓国ドラマ『張禧嬪』『トンイ』など)。
側室から見事、王妃にまで成り上がる――
これは張緑水も鄭蘭貞も果たせなかった"快挙"であり、長い朝鮮王朝史上においても彼女を含めてわずか6人しかいないという。
その秘密は、彼女の美貌にあった。
「朝鮮王朝の正史である『朝鮮王朝実録』は、女性の容姿に関して基本的に記述していない。ところが、張禧嬪に関しては"大変な美女だった"と、わざわざ書いているんです」
女官として宮中に来たところ、19代王・粛宗に一目惚れされ、人生が変わる。
だが、粛宗の母は勘が鋭いのか、"この女は災いをもたらす"と、一度は彼女を宮中から追い出す。
だが、その母が死に、張禧嬪は再び宮中に舞い戻ってくるや、側室として粛宗の子である男の子を産むのだ。
張禧嬪は粛宗に「わが子を継承者に」と強く迫る。
ついには周囲の反対を無理やり押し切り、粛宗は張禧嬪との子を元子(ウォンジャ)(王子候補)に指名し、なんと正室を廃妃にしてしまった。
しかし、正室の座を強奪した張禧嬪の絶頂期は、5年しか続かなかった。
「いつの間にか王の心は、ドラマ『トンイ』の主人公のモデルになった王宮の水汲み係、淑嬪(スクビン)・崔(チェ)氏になびいていた。そして、彼女が廃妃になった元正室を慕っていたことから、元正室は正室に戻され、張禧嬪は側室に戻ります。さらに、淑嬪・崔氏の告発により、張禧嬪が復帰した正室を呪い殺すために使った人形や小動物の死骸が発見され、死罪を命じられたんです」
なんともドロドロした女の怨念が渦巻く朝鮮王朝。
だが、康氏によれば、この3悪女の"原動力"は、低い身分や貧しさから必死に成り上がろうとした、健気な野心だという。
実は、政治を私物化し、多くの国民を不幸にした「悪女の中の悪女」たちはほかにいるという。
特権階級に生まれ育ち、そのまま王后となり、手にした権力で人々を苦しめた「ウラの3大悪女」だ。
「朝鮮王朝時代、王が亡くなると、その妻である王妃は地位を退かなければなりませんでした。しかし、王が後継者を決めないまま亡くなった場合、王妃が次の王を指名することが多く、しかもその次の王が成人に達していない場合、王妃が代理で政治を行い、王朝の実質的な支配者として君臨することがあったんです」
こうして政治を牛耳ることを「垂簾聴政(すいれんちょうせい)」と言い、朝鮮王朝時代には6人の王妃が、男尊女卑の時代の中で例外的に最高権力を握った。
その中で私物化が特にひどく、悪名高いのがこれから述べる「ウラの3大悪女」なのだ。
宗教弾圧で数万人を処刑した
4.文定王后(11代王・中宗の第3王妃)前述の鄭蘭貞が仕えたのが、この文定王后。2番目の正室の子(長男)が、自分の子(次男)が王になるために邪魔なことから、長男が眠る寝殿に放火。
目的を達せないと、ついには毒殺に及んだという鬼女だ。
「長男は12代王(仁宗(インジョン))になるものの、即位後わずか8か月で亡くなります。歴代王27人の中で在位期間は最短。その裏には、彼女が渡した餅に毒が盛ってあったと書かれている野史(やし)(※民間に伝承される歴史書)すらあります」
結果、自分の子・明宗が1545年に13代王に即位を果たし、当時、まだ11歳だった王に代わり、文定王后が実権を握る。
彼女は政権の要職を身内で固めたが、この約20年間は"暗黒の時代"だったと言われる。
「当時、朝鮮半島は凶作が続き、多くの国民の生活が困窮したのに、彼女はなんら有効対策を立てなかった。民を見捨てたんです」
5.貞純(チョンスン)王后(21代王・英祖(ヨンジョ)【在位1724〜76年】の2番目の正室)貞純王后が14歳で英祖と結婚したとき、英祖はすでに63歳で孫ほどの年齢差があった。
彼女は夫亡きあとの地位を確保するため、英祖に話を吹き込んで、側室との間の後継者を米櫃に閉じ込めて餓死させる。
さらに22代王となった正祖(チョンジョ)を毒殺。
23代王・純祖(スンジョ)がまだ10歳だったため、王族の最長老として彼女が「垂簾聴政」したのだった。
「彼女の最大の失政は天主教(カトリック教)に対する弾圧。しかも、そのために『五家作統法』といって、近所の5軒が犯罪を監視し合うという連帯責任制度を悪用した。結果、天主教と何の関係もない者を含め数万人が処刑されたのです」
6.純元(スヌォン)王后(23代王・純祖【在位1800〜34年】の正室) 24代王・憲宗(ホンジョン)が即位した際、まだわずか7歳だったため、王族最長老の純元王后が実権を握った。
その憲宗が22歳で急逝し、後を託す息子がいなかったため、彼女が暗躍をする。
「純元王后は25代王に、島で農業をしていた青年を捜し出して据えた。確かに、その青年は王族だが、没落した家の出で、そのため農業をしていたんです。帝王学を学んでいないどころか、字もろくに読めなかった。彼女がこの青年を王に指名したのは、政治より一族の繁栄を優先し、自由にコントロールできると思ったからでしょう」
実際、この王は政治を純元王后に任せ、贅沢三昧。
純元王后も凶作が相次いだのに何の対策も打たなかったため、多くの民が困窮し、苦しんだという……。
いったい、なぜ、隣国ではかくも多くの悪女が世に出てきたのだろうか。
「日本にも江戸時代、"大奥"がありました。しかし、朝鮮王朝と違って政治にはまず介入させませんでした。これが最大の違いですね」
朴槿恵大統領は「悪女」の系譜に名を連ねることのない御仁だと、信じたいものだが……。
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