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恐怖は正しい・共産主義の独裁はますます酷くなる。誰か助けてーと言っても誰も助けません。このような時は・逃げるが勝ちです。世界戦国時代突入。

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https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60963110Q0A630C2I10000/?n_cid=NMAIL007_20200701_H

 

サッチャーに道徳説いた 香港版「鉄の女」が抱く恐怖
編集委員 中沢克二 2020/7/1 0:00 日本経済新聞 電子版

 

中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞

少し肌寒さを感じる香港で「鉄の女」にインタビューした。1月中旬のことである。国際政治にある程度、詳しい人は、「鉄の女」というニックネームを聞けば英首相を務めたマーガレット・サッチャー(故人)を思い起こすだろう。香港版「鉄の女」はもちろんサッチャーに深い縁がある。

自説を曲げない「アイアン レディー」こと劉慧卿(エミリー・ラウ、68)は、香港民主派の重鎮で民主党の元主席である。かつてジャーナリストとして活躍した。香港の人々の記憶に残るのは1984年、香港返還に関する中英共同宣言が合意に達した直後、香港を訪れたサッチャーに記者会見で突きつけた鋭い質問だ。

その時、彼女が予感していたのは、最も恐ろしいことが現実化する未来である。それはまさに2020年6月30日、現実のものになった。「一国二制度」の根幹を揺るがす香港国家安全維持法が、香港立法府の頭越しに中国・北京で可決、成立したのだ。

香港返還23周年の7月1日を前に、自由を享受できた香港が終わる――。長年、デモへの参加で政治的な主張をする権利を行使してきた一般市民であれば、エミリー・ラウでなくてもこう感じるに違いない。

■1984年の真剣勝負

時を問題の1984年に戻し、サッチャー記者会見のやり取りを紹介したい。エミリー・ラウは「鉄の女」を前に果敢に道徳を説いている。

「(サッチャー)首相、(あなたは)2日前、香港の500万人以上を共産主義独裁体制の手に渡すと約束する宣言に署名しました。道徳的に許されるのでしょうか。国際政治では道徳の最高の形は国家の利益とでもいうのでしょうか」

英国が香港の人々に英国籍の供与など十分な保護を与えないまま独裁国家側に返還するのは間違いだ、という趣旨である。

大政治家、サッチャーの答えは少し冷たく、つれないものだった。「香港の人々は皆、共同宣言を歓迎していますよ。ラウさんだけ例外かもしれませんが……」。合意によって、民主化を拒む中国共産党政権の政治手法と関係なく、香港の人々の生活様式が長期にわたって維持されるため問題はない、という意味だった。いわゆる「一国二制度」の考え方である。

このやり取りは1989年6月4日、中国・北京で平和的な手段だけで民主化を訴えるデモ、集会、座り込みに参加していた学生らが武力弾圧され、多数の死傷者を出した天安門事件の5年も前のことだ。

 

香港民主派の重鎮、劉慧卿(エミリー・ラウ)氏 画像の拡大

香港民主派の重鎮、劉慧卿(エミリー・ラウ)氏

ちなみにサッチャーとともに中英共同宣言に署名したのは、改革派だった当時の中国首相、趙紫陽(後に共産党総書記)である。学生運動に同情的だったのが災いして天安門事件で失脚し、長期の幽閉生活を経て亡くなった。

当然のことながら、香港では天安門事件によって返還後の「一国二制度」に不安を覚える人々が増え、それ以降、毎年6月4日に香港中心部で抗議デモが繰り広げられてきた。

「鉄の女」2人が主役だった記者会見での真剣勝負から36年。香港の「鉄の女」の懸念が的中してしまった。30年続いた天安門事件に抗議する6月4日のデモは初めて不許可になった。香港返還23周年の7月1日も昨年までの風景と一変し、平和的なデモさえ許可されなかった。

香港国家安全維持法を巡っては、香港の法律と矛盾点があれば新法が優先される。50年間不変とされた香港の「高度の自治」の根幹をなす法体系が簡単に崩れつつある。

香港のデモには特殊な意義があった。不完全な選挙システムを補う政治的意志の表現方法だったのだ。香港庶民にとっては普通の生活の一部といってよい。今後はそれが「国家安全」を名目に様々な規制を受ける。場合によっては違反者は香港から中国本土に移送される恐れもある。

■「自由と民主は自ら獲得」

 

6月28日、デモ行進が行われた香港・九竜地区で「国家安全法に断固反対」と書かれた紙を掲げる人=共同 画像の拡大

6月28日、デモ行進が行われた香港・九竜地区で「国家安全法に断固反対」と書かれた紙を掲げる人=共同

「自由と民主。それは天がくれるものではなく、我々が自ら獲得し、守っていかなければならない。永続的な努力が必要になる」。エミリー・ラウが5カ月余り前のインタビューで訴えていた言葉である。

1月中旬は、地方議会に当たる香港区議会選で民主派が圧勝した2カ月後。しかも台湾総統選でも中国と距離を置く民主進歩党の蔡英文が大勝した直後だった。今年9月には香港の議会である立法会選挙が控えており「若者らが政治や選挙に参加すれば香港だけではなく世界に変化が起こりうる」とある種の希望を口にしていた。

一方、中国本土の民主化に関しては「中国の人々が決めるべき問題である」とし、まず香港の自由維持を優先する構えだった。ところが事態は思わぬ方向に転がってゆく。

この数日後、中国の湖北省武漢市が新型コロナウイルス感染症のまん延で封鎖され、その後、世界でコロナ禍による政治、経済、社会の大混乱が起きる。中国は5月の全国人民代表大会(全人代)で国家安全法制を香港に導入する方針をいきなり決めた。

 

中国全人代の閉幕式で資料を手にする習近平国家主席(5月28日、北京の人民大会堂)=共同 画像の拡大

中国全人代の閉幕式で資料を手にする習近平国家主席(5月28日、北京の人民大会堂)=共同

では中国側が繰り返す「国家安全」とは何なのか。それは国家主席の習近平(シー・ジンピン)が特に重視する政治的な概念である。2013年秋、中国は共産党中央委員会第3回全体会議(3中全会)で中央国家安全委員会の設立を決め、翌年1月、正式に発足する。

15年7月1日には新たな国家安全法が成立し、直ちに施行された。政権、領土、経済、インターネットなど幅広い領域で国家安全に関する方針を順守するよう定めている。その矛先は「一国二制度」を約束している香港にも向かっていた。それは香港返還記念の日に施行された経緯からも明らかだ。ただ、本当の意味が隠されていたため、香港の人々に油断があったのも確かだ。

■国家安全と政治安全の同化

そして今回、ついに「高度の自治」によって守られてきた香港にまで「国家安全維持委員会」が設置される。習近平式の独特な統治手法が香港の奥深くに入り込むと考えてよい。その特徴は、スパイ摘発など安全保障に関わる「国家安全」と、現政権の権威と安定性を守る「政治安全」を同一視し、一体の課題としてとらえる点にある。

 

道路上に張り出した大きな看板だけが残る香港の銅鑼湾書店 画像の拡大

道路上に張り出した大きな看板だけが残る香港の銅鑼湾書店

例えば5年前に起きた香港の銅鑼湾書店を巡る事件。習近平ら中国要人のスキャンダル話や中国に批判的な内容の書籍を取り扱っていたため、多くの関係者が中国当局者によって秘密裏に大陸へ連れ去られ大問題になった。

今になって考えれば、事実上の香港への国家安全法制の適用だった。今回の香港国家安全維持法の施行で、銅鑼湾書店事件の構図さえ中国の法体系に従って合法化できる見込みだ。深刻な事件と判断されれば、容疑者の中国引き渡しさえできるようになる。

昨年、香港では犯罪容疑者の中国引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対する200万人規模の抗議デモが起き、香港当局は撤回に追い込まれた。しかし、今回の香港立法府の頭越しの決定の威力は、逃亡犯条例問題の比ではない。

中英共同宣言に署名したサッチャーは7年前に87歳で亡くなった。彼女が「香港の人々は皆、歓迎している」と断言した中英共同宣言について中国政府は先に「香港が返還されて既に20年になり、いかなる現実的な意味も持たない」と言い切った。国際公約は既に単なる歴史の遺物――。エミリー・ラウの悪い予感は的中しつつあった。

英政府は今になって香港人を英国に受け入れる優遇措置を拡大しようとしている。もし元祖「鉄の女」が存命だったら、中国の約束違反にどう文句をつけるのだろう。(敬称略)


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