「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和弐年(2020)3月2日(月曜日)弐
通巻6385号
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疫病の大流行で中国の歴代王朝は潰えた
コロナは習近平独裁体制にトドメを刺すか
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NASAとESAが発表した中国上空からの偵察衛星の写真は衝撃的である。
https://timesofindia.indiatimes.com/world/china/satellite-images-reveal-the-impact-of-coronavirus-on-chinese-economy/articleshow/74423551.cms
排気ガス、生産工場の煙、クルマのガス、つまりPM2・5の観測である。
旧正月入り前の1月10日から20日にかけて、北京周辺も、広州も、上海も人出が激しく、クルマの交通量が多く、PM2・5観測は通常通りだった(ちなみにコロナウィルスで最初の死者が報じられたのは1月10日)。
それが2月10日から25日にかけての偵察衛星、気象衛星などの観測から、ほとんど排気ガスが出ていない。中国全土から公害が消えている! 生産ラインがとまり、人々は自宅に逼塞し、通りには誰もいない!
桜井よしこ女史が産経新聞に寄稿し、次のような指摘をされている。
「十四世紀に成立した明王朝もその跡を襲い史上最大の版図を獲得した清王朝も、天然痘やペストの大流行をきっかけに崩壊した」(3月2日付)。
「コロナは共産党への天罰だ」と大胆不敵な物言いは文明評論家の黄文雄氏だ。『LIBERTY』四月号のインタビュー記事を要約すると、
中国史を彩る疫病と、王朝の崩壊は漢王朝の滅亡からで、171年から185年にかけて五回疫病が流行、184年の「黄巾の乱」を迎えた。漢の国力は弱体化し滅亡へ向かった。
隋の煬帝末期の610年から唐王朝となる648年にかけて疫病が七回発生し、徐々に唐は滅亡の道を歩んだ。
元王朝もペストなど伝染病が11回発生し、白蓮教が急速に勢力を得て、1351年に紅巾の乱、元は衰退して北方へ去った。白蓮教徒だった朱元章が明王朝を拓いた。
ところが明王朝にも、コレラ、ペスト、天然痘の猛威、およそ一千万人が死んだ。
清王朝は堕落と西太后の横暴が氾濫を醸成していく公式の歴史解釈だが、裏側ではペストなどの大流行があり、1900年、洪秀全の「大平天国の乱」、五千万人が内乱の犠牲となって、急激に国力を弱体化させ、辛亥革命が起こった。
さて共産党王朝である。
習近平独裁は揺るぎのない統治と喧伝されたが、コロナウィルス災禍が襲った。その政治生命は衰退期を象徴しており、中国共産党の終わりの始まりとなる。
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