「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)7月12日(金曜日)
通巻第6138号 <前日発行>
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ジミー・ライ(頼智英)がペンス副大統領、ポンぺオ国務長官と面会していた
香港の「反送法」デモ、抗議行動に頼は350万HK(5200万円)を献金
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ジミー・ライ(頼智英)は不屈の人物、中国共産党の圧力に決して屈しない。
自宅に火炎瓶を投げ込まれたり、系列のアパレルチェーンを放火されたり、あらゆる妨害を乗り越え、香港で「自由、民主」を掲げた「リンゴ日報」と「壱」を発行し、北京の政策に批判を展開してきた。
同紙は台湾でも発行され、「自由時報」と並んでいつもトップの売れ行きである。
ジミー・ライは香港の若者たちが立ち上がった雨傘革命の時も積極的に支援した。
こんかいの反送法運動で若者らは、とうとう二百万人ものデモを組織し、中国から唆された悪法=「送還法」を葬ったうえ、北京の傀儡=林鄭月蛾・行政長官を追い込んだ。
この抗議集会とデモの最大のスポンサーがジミー・ライであり、個人で350万HKドル(邦貨換算5200万円)をポンと寄付した。
資金集めはクラウドファンディングを通じても行われ、世界の主要紙に意見広告をうてるほどの金額が世界中から集った。米国情報機関からの資金援助が一部に取りざたされたが、これは中国側の攪乱情報で、善意の人々、そして海外の華僑からの献金が想定以上に集まったのだ。
しかも波状効果が台湾に及んだ。
下馬評で人気が沸騰していた郭台銘(フォックスコンCEO)の支持が急落した。
韓国諭も圧勝の雰囲気はなく国民党は、所詮「一国二制度」の元に、北京との統一を意図しているとして、国民が危険視をなしはじめたのは香港の騒擾を目撃したからだ。
それまで下降気味だった蔡英文の支持率が盛り返したのだ。
そのジミー・ライが訪米し、7月8日に首都ワシントンでペンス副大統領、ポンぺオ国務長官と面会したのである。
一民間人に対して、これほどの厚遇はなく、米国は香港の動きに異様な関心を示したことになる。
▲こんな状況下、アメリカにまだパンダ・ハガーがいた
他方、香港で開催された「国際経済フォーラム」には、ブッシュ元大統領の息子ネイル・ブッシュが出席し、董建華(初代香港行政長官)らを前に「アメリカは中国と敵対するべきではない。民主主義の定義がそれぞれ異なるのであり、中国を悪魔的に扱うのは間違いである」と北京がとび上がって喜ぶような演説をしていた。
ブッシュ家は、父親がレーガンの後釜として親中外交を進め、天安門事件では、いたしかたなく中国を制裁したが、密かにスコウクラフト補佐官を北京に派遣し、「制裁はポーズだけだ」として、方励之博士の米国亡命の引き換えに日本に圧力をかけて「天皇訪中」を打診し、中国制裁解除の道を開いた。
日本は中国制裁解除へ一番乗りをはたし、西側から軽蔑されたが、後に銭基深外相(当時)が回想録で「(日本を騙して天皇を訪中させたのは)外交上、あれほどうまくいったことはなかった」と書いたほどだった。
息子のブッシュは、2001年、NY連続爆破テロに激怒して「テロ戦争」の遂行のためには中国の協力が必要として、「東トルキスタン開放戦線」を「テロリスト」と認定するなど、親中路線には変わりがなかった。
これにより米国が間接的にでも、中国のウィグル族弾圧に合法性を与えたことにもなった。
その後、オバマ政権で対中政策の大甘はかわらず、最大の理由は米民主党に巧妙なルートを通じて中国からの大金が「政治献金」として流れ込んでいたからである。
もしヒラリーが選ばれたら、アメリカの対中外交は、依然として大甘であっただろう。
米中関係をずぶずぶの蜜月として、オバマ時代初期には「G2関係」にまで高めようとした源流がブッシュ親子の親中姿勢にある。ブッシュ父親は初代北京大使(駐在事務所所長)を務め、ジュニアたちは自転車で各地を旅行した。ジュニア大統領の弟のネイルが、したがって中国にいまも幻想を抱くのは無理のないところかもしれない。
(余話)ジミー・ライにインタビューしたのは1997年香港返還直前だった。坊主頭にジャンパーという出で立ちで、部屋に入ってきたときに給仕さんかと間違えたほどだった。「返還後、中国共産党の統治が進んで言論の自由はなくなるのではないか」と聞くとジミーは楽天的で、「中国は香港という国際金融都市を必要としている。国際金融には自由な報道、情報の透明性、客観性が絶対必須条件であり、香港がまるまる飲み込まれることはない。私はハイエクの信者である」と胸を張って答えたものだった。
この会見記を拙著のどれかに挿入したが、いま、その書名が思い出せない(苦笑)。