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1989年のルーマニア革命 元大統領派がテロ「自作」 元軍検事長が証言
5/3(金) 19:44配信
ルーマニア革命の捜査を長く担当したダン・ボイネア元軍検事長=ブカレストで、三木幸治撮影
【ブカレストで三木幸治】ソ連崩壊につながった1989年の東欧革命で唯一、多数の市民の流血を伴ったルーマニア革命。チャウシェスク独裁政権崩壊後に発生し、850人以上が犠牲となった銃撃戦について、
後に政権を握るイリエスク元大統領(89)の元側近が「テロリストの攻撃」をでっち上げて引き起こしたものだったと事実上認める供述をしていたことが、同国検察関係者への取材で判明した。イリエスク氏ら元共産党幹部や軍はこの銃撃戦を機に新政権を樹立。革命は市民デモに乗じて政権を奪取した「盗まれた革命」との見方があるが、その説を有力視させる証言だ。
ルーマニア革命を巡る経緯には不明な点が多く、中でも銃撃戦の発生原因は最大の謎とされてきた。同国検察は先月8日、イリエスク氏を偽情報を流して銃撃戦の混乱をあおったとして人道に対する罪で起訴。今後の公判で元側近の供述など捜査の詳細を明らかにする方針とみられる。
問題を長年捜査したダン・ボイネア元軍検事長(68)によると、この供述を行ったのは革命後のイリエスク政権で国防相となるスタンクレスク将軍(2016年に死亡)。革命では89年12月22日正午ごろ、市民デモの拡大でチャウシェスク氏が共産党本部から逃亡。だが、同日夜の銃撃戦の発生で市民らは街頭から消え、イリエスク氏らが結成した「救国戦線評議会」が全国の党施設や役所を占拠し全権を握った。イリエスク氏らは当時、「外国人テロリストが攻撃してきた」として軍とテロリストとの銃撃戦と説明していたが、スタンクレスク氏は検察の調べに「テロリストがいないことは最初から知っていた」と供述したという。
また、検察側が入手した「軍人日記」と呼ばれる軍内部の日誌には、スタンクレスク氏が兵士らに主要施設の占拠を指示し「不審者や抵抗者がいれば銃撃しろ」と命じていたと明記。軍が数日間で1250万発の銃弾を使用、市民の家屋を戦車やヘリコプターで銃撃した様子も記録されていた。ボイネア氏は「混乱を生むことで主要施設から市民を排除し、軍を後ろ盾にした政権奪取を容易にする狙いがあった」と指摘した。
一方、イリエスク氏は疑惑への関与を否定。毎日新聞は昨年12月と今年2月、イリエスク氏に取材を申し込んだが「捜査中」を理由に拒否された。
イリエスク氏は革命直後の90~96年のほか、00~04年にもルーマニアの大統領を務めた。
◇ルーマニア革命
1989年12月16日、西部ティミショアラでハンガリー人牧師の追放処分に市民が怒り、軍と衝突、軍の発砲で犠牲者が出た。混乱は全土に広がり、同21、22日に首都ブカレストで大規模デモが発生。24年以上独裁体制を敷いたチャウシェスク大統領夫妻(当時)は同22日昼、共産党本部から逃げたが当局に逮捕され、25日に銃殺刑となった。革命を巡る死者は少なくとも約1100人で、このうちチャウシェスク氏逃亡後に起きた銃撃戦の混乱で850人以上が犠牲になったとされている。
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● だからと言って、一度滅びた共産主義が回復することは
ありません。現在の真実の追及はあくまでも、
現在の政権内の権力闘争なのです。
● ロシア・東欧は戦士・戦国時代・共産主義の時代が終わって
270年間続く知恵者・賢帝の時代へと入ったのです。
● 現在は誰が知恵者・賢帝の時代の独裁者になるのかの
戦いです。けっして、自由と民主主義の資本主義が
来ることはありません。勿論270年後は来ますが。
● 東欧の皆さん、自由と民主主義とお金が欲しい人は、
日独イタリアへの移住をお勧めします。特に日本は
青い目に弱いのでモテモテでしょう!?
1989年のルーマニア革命 元大統領派がテロ「自作」 元軍検事長が証言
5/3(金) 19:44配信
ルーマニア革命の捜査を長く担当したダン・ボイネア元軍検事長=ブカレストで、三木幸治撮影
【ブカレストで三木幸治】ソ連崩壊につながった1989年の東欧革命で唯一、多数の市民の流血を伴ったルーマニア革命。チャウシェスク独裁政権崩壊後に発生し、850人以上が犠牲となった銃撃戦について、
後に政権を握るイリエスク元大統領(89)の元側近が「テロリストの攻撃」をでっち上げて引き起こしたものだったと事実上認める供述をしていたことが、同国検察関係者への取材で判明した。イリエスク氏ら元共産党幹部や軍はこの銃撃戦を機に新政権を樹立。革命は市民デモに乗じて政権を奪取した「盗まれた革命」との見方があるが、その説を有力視させる証言だ。
ルーマニア革命を巡る経緯には不明な点が多く、中でも銃撃戦の発生原因は最大の謎とされてきた。同国検察は先月8日、イリエスク氏を偽情報を流して銃撃戦の混乱をあおったとして人道に対する罪で起訴。今後の公判で元側近の供述など捜査の詳細を明らかにする方針とみられる。
問題を長年捜査したダン・ボイネア元軍検事長(68)によると、この供述を行ったのは革命後のイリエスク政権で国防相となるスタンクレスク将軍(2016年に死亡)。革命では89年12月22日正午ごろ、市民デモの拡大でチャウシェスク氏が共産党本部から逃亡。だが、同日夜の銃撃戦の発生で市民らは街頭から消え、イリエスク氏らが結成した「救国戦線評議会」が全国の党施設や役所を占拠し全権を握った。イリエスク氏らは当時、「外国人テロリストが攻撃してきた」として軍とテロリストとの銃撃戦と説明していたが、スタンクレスク氏は検察の調べに「テロリストがいないことは最初から知っていた」と供述したという。
また、検察側が入手した「軍人日記」と呼ばれる軍内部の日誌には、スタンクレスク氏が兵士らに主要施設の占拠を指示し「不審者や抵抗者がいれば銃撃しろ」と命じていたと明記。軍が数日間で1250万発の銃弾を使用、市民の家屋を戦車やヘリコプターで銃撃した様子も記録されていた。ボイネア氏は「混乱を生むことで主要施設から市民を排除し、軍を後ろ盾にした政権奪取を容易にする狙いがあった」と指摘した。
一方、イリエスク氏は疑惑への関与を否定。毎日新聞は昨年12月と今年2月、イリエスク氏に取材を申し込んだが「捜査中」を理由に拒否された。
イリエスク氏は革命直後の90~96年のほか、00~04年にもルーマニアの大統領を務めた。
◇ルーマニア革命
1989年12月16日、西部ティミショアラでハンガリー人牧師の追放処分に市民が怒り、軍と衝突、軍の発砲で犠牲者が出た。混乱は全土に広がり、同21、22日に首都ブカレストで大規模デモが発生。24年以上独裁体制を敷いたチャウシェスク大統領夫妻(当時)は同22日昼、共産党本部から逃げたが当局に逮捕され、25日に銃殺刑となった。革命を巡る死者は少なくとも約1100人で、このうちチャウシェスク氏逃亡後に起きた銃撃戦の混乱で850人以上が犠牲になったとされている。
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● だからと言って、一度滅びた共産主義が回復することは
ありません。現在の真実の追及はあくまでも、
現在の政権内の権力闘争なのです。
● ロシア・東欧は戦士・戦国時代・共産主義の時代が終わって
270年間続く知恵者・賢帝の時代へと入ったのです。
● 現在は誰が知恵者・賢帝の時代の独裁者になるのかの
戦いです。けっして、自由と民主主義の資本主義が
来ることはありません。勿論270年後は来ますが。
● 東欧の皆さん、自由と民主主義とお金が欲しい人は、
日独イタリアへの移住をお勧めします。特に日本は
青い目に弱いのでモテモテでしょう!?