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近代の自由と民主主義は歴史上は普遍的ではない

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40107

民主主義に至る安易な道はない
                     2014.03.06(木) Financial Times
         (2014年3月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 ウクライナは安定した自由民主主義国になることができるか?〔AFPBB News〕
ウクライナは安定した自由民主主義国になることができるのだろうか? この問いの答えは「イエス」でなければならない。では、ウクライナはこれから安定した自由民主主義国になるのだろうか? この問いに対する答えは「分からない」だ。

 もちろん、ほかのいろいろな国々がこの目標に到達したことは分かっている。しかし、普通選挙が行われる民主主義国はひ弱な植物であること、まだ生まれて間もない時期には特に弱いことも分かっている。

 まだ若い民主主義、例えばエジプト、タイ、ロシア、ウクライナなどの民主主義に起こっていることは、まさにこの真理を浮き彫りにしている。民主主義がひ弱なのは、それが複雑な、そしていくつかの重要な点で不自然なゲームだからだ。

 最初に指摘しておきたいのは、国民に説明責任を負う政府は唯一の大人向けの政府だという点である。そのほかの形態の政府はすべて、国民を子供扱いする。その昔、国民の大半が字を読めなかった時代なら、そのようなパターナリズム(父権主義)も正当化されたかもしれない。だが、現代ではもう通用しない。

 国民の教育水準が高まりその見聞も広まるにつれて、国民を子供扱いする政府は次第に受け入れがたいものとなる。このことは、長期的には中国にさえ当てはまるだろう(筆者はそう期待している)。

 証拠はこの楽観論と符合する。ポリティIVデータベースによれば、今では(程度の差はあるものの)民主主義の国がほぼ100カ国に達している。1990年の2倍に相当する数だ。ちなみに、1800年にはその数はゼロだった。

 また、正真正銘の独裁国家の数は、1990年の約90カ国から今日の約20カ国へと激減している。ただ不幸なことにアノクラシーの国、すなわち統治が非常に不安定でちゃんと機能しておらず、汚職も見られる国の数が約20カ国から50カ国超に増加している。これらの国々は独裁体制が崩れているのかもしれないし、民主主義体制が崩れているのかもしれないが、武力紛争や力による権力奪取も起こりやすい。

本物の市民と誠実な守護者 では、安定的で成功している民主主義の基盤は一体何なのだろうか? 端的に言えばそれは、民主主義には2つの自制――国民と国民の間の自制、そして国民と国家の間の自制――が必要だということだ。これらの自制が実現するかは4つの点にかかっており、そのすべてが満たされなければならない。

 第1に、民主主義には市民が必要だ。市民とは、公的な世界に関わる人だが、それだけではない。とりわけ市民は、共有されている手続きに対する忠誠は自分が与する政治勢力に対する忠誠よりも優先されなければならないというルールを受け入れる。

 市民は、「責任野党」という概念を理解している。市民は、政府が敵対する勢力によって、敵対する勢力のために運営されていても、その政府の正統性を受け入れる。いずれ自分たちが政権を担う可能性があることを信じてのことだ。

 従って市民は、敵対する勢力が政権を平和裡に運営する能力を破壊する政治プロセスは用いない。反対意見も、さらには騒々しい抵抗も合法であることを認める。違法だとして退けるのは武力の行使だけだ。

 もちろん、敵対する勢力の中には容認できないものもある。とりわけ、民主的なプロセスの合法性を認めない勢力は容認できない。ここで言う市民が少ない国では、分裂や内戦に陥りそうな状況がいつまでも続くことになる。

 第2に、民主主義には「ガーディアン」が必要だ。ここで言うガーディアンとは、故ジェイン・ジェイコブズが名著『Systems of Survival(邦題: 市場の倫理 統治の倫理)』で論じた守護者のことだ。ガーディアンは政界、官界、法曹界、軍事の分野で重要な地位に就いている。彼らが盗賊ではなく守護者であるのは、その地位を私利私欲のために利用せず、客観的なルールに従って、あるいは公益という概念に資するために用いるからだ。

 ウクライナ大統領の座を追われたビクトル・ヤヌコビッチ氏は、想像し得る限り、これに対するアンチテーゼの一番の好例だ。だが、権力を求めた彼の動機は昔からあるものでもあった。歴史をさかのぼってみれば、権力と富はずっとセットだった。この2つを分離すべきだという考え方は革命的だったし、多くの国や地域ではいまだに革命的だ。

 ヤヌコビッチ氏は、自分には盗みを働いたり武力を使ったりする権利があると信じていたが、それは民主主義的な正統性の基盤ではない。

適切な市場と公正な法律
 第3に、民主主義には市場が必要だ。市場と言っても、旧ソビエト連邦の多くの地域で生じたような、公の富を私人の富に変えてしまう国家権力の乱用を指すのではない。そのような盗みによって財をなしたビジネスマンは、それを手伝った政治家たちと同じくらい正統性を欠いている。

 しっかり機能する政府に支えられた適切に機能する市場は、安定した民主主義の極めて重要な基盤となる。

 第1に、そうした市場は繁栄を支える。まともで、それなりに安泰な生活水準を保証できる社会は、安定した社会でもある可能性が高い。つまり、これは仲間の市民と自分の経済的な未来に信頼を抱く社会だ。

 第2に、市場は繁栄と権力の関係を弱める。市場のおかげで、人は選挙の結果を重要だと考えるが、自分自身や家族にとって生死にかかわる問題とは思わずに済む。そうなると、政治の温度は焼けるような熱さから耐えられる温度に下がる。

最後に、絶対不可欠だが複雑なこれらの制度すべてが有効であるためには、民主主義国には、特に(たとえ時として不文法だったとしても)憲法などの一般に認められる法律が必要になる。

 一般に認められた手続きに従って制定、施行された法律は、政治的、社会的、経済的なゲームのルールを形作る。法の支配を欠く国は永遠に、混沌か暴政の瀬戸際にある。これは数世紀にわたるロシアの不幸な運命だ。

 つまり、民主主義とは、投票の枠をはるかに超えたものだ。民主主義はもちろん、「成人1人、1票、1度」ではない。それを言えば、「成人1人、不正操作された1票、何度も」でもない。権利と義務、権力と制約が複雑に絡み合ったものなのだ。民主主義は、ともに行動する自由な個人の政治的表現であるか、そうでなければ、何でもない。選挙に勝った人は、好き勝手なことをする権利を持つわけではない。それは本当の民主主義ではなく、選挙で選ばれた独裁だ。

 民主主義に向かう道を進む国民を外部の人間が助けることはできるのか? それは可能だ。中東欧でEUが担った有益な経済的、政治的役割がそれを証明した。後退は想像できるか? 答えはイエスだ。ハンガリーがまさにそれを証明している。悪しき隣国が希望を打ち砕くことはできるか? イエス、それもあり得る。

試す価値のある革命的変化
 我々は実際、民主主義に向かう道の途上での失敗をたくさん見てきた。エジプトが顕著な例だ。同国はあまりに多くの成功の必要条件を欠いたのかもしれない。今日、ウクライナが1991年以来、3度目のチャンスを生んだことは分かる。

 だが、ウクライナは多くの助けを必要とするだろう。西側はそのような助けを他国に与えてきた。だが、ウクライナ自身もまた、社会的なゲームのかなり新しいルールに向けて進まなければならない。本物の市民と誠実な守護者、適切な市場と公正な法律を生み出さなければならないのだ。

 そのような革命的な変化は可能なのだろうか? 筆者には分からない。だが、かなり確信が持てることが1つある。試みる価値は十分ある、ということだ。

                   By Martin Wolf

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● 人類が現在のホモサピエンスに成ってから、10万年余りに成ると思われますが、
  基本的にその間の脳は発展していません。つまり最近の歴史も基本的には
  過去10万年の同じ現世人類の歴史と言う事に成ります。

● むしろ研究では、自己家畜化の現象で、その脳は1割縮小している事は分かっています。

● 過去を掘り起こせば、我々よりも進んでいたのではないかと思われる事象もあります。
  例えば古代ローマにも、民主主義は有りました。中国の歴史から見れば、
  常に東洋の中心であったことが分かりますが、

● 今の中国は、先進国の援助でどうにか近代国家の体裁を保っていますが,どう見ても
  相対的には、過去が繁栄していた分、後退していると言わざるを得ません。
  今のエジプトは、贔屓目に見ても、過去よりも明らかに劣っています。

● 近代の自由と民主主義は、近代資本主義に伴う制度なのです。つまり、支配階級の
  資本家の、繁栄を支えるのには、どうしても圧倒的な庶民の参加が必要になるのです。
  これが資本主義をして、選挙等のシステムと自由と民主主義が必要な理由です。

● 従って、共産主義や君主国家は基本的には、所謂近代資本主義に伴う自由と民主主義は
  不必要です。今でも自由と民主主義は既に、形骸化しているのは、USAを見るまでも
  ありません。自分の国が崩壊しつつあるのが見えないのは、当然です。

● 自分の姿は他人が一番良く見えるものです。岡目八目と言うではないですか。つまり
  依怙贔屓する人間は、自分の国を余分に・八目分かさ上げしているのです。
  USAが自由と民主主義の国で、国が国民の富と福祉と国民の命を保証して
  いると錯覚するのは、お笑いです。

● マルクスの予言の方が正確です。資本主義はその性格上、末期は金融帝国主義と成り
  国民から収奪して、その福祉をも破壊して、国民から愛想を尽かされて、崩壊する。

● 他国の心配をする前に、自国の自由と民主主義が危機に瀕している事を直視する
  事がまず必要です。どうせあなたの力はウクライナには何の役にも立ちません。
  革命をするかどうかも、其処の国民が決める事です。

● サーカーの、支配階級循環論、私の一時代270年説、村山氏の東西移行1600年説
  等を勉強する事をお勧めします。

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